社説 スポーツ風土 球界騒動が教えたこと

                                                    平成16年9月26日(日):北日本新聞

 近鉄とオリックス両球団の合併合意に端を発し、選手会のストにまで発展したプロ野球界の騒動は、野球ファンでない者にもかんかんがくがくの議論を広げた。だがこの騒動は決して他人事ではない。突き詰めてみると、社会に生きる私たちの在り方にかかわる本質的な問題を提起している。

 その問題とは「地域か企業か」という設問に集約される。スポーツを支えるのはどちらが主役かということにとどまらず、私たちが地域と企業のどちらに軸足を置いて生きてきたのか、地域とのつながりをおろそかにしてきたのではなかったか、と問い掛けられているのだ。

 日本ではスポーツは、学校教育の体育として教えられてきたため、修養を積むことが重視されてきた。戦後の経済発展と社会の成熟に伴い、その娯楽性が評価されて、実業団スポーツやプロ野球のように、もっぱら宣伝媒体として活用されてきた。

 つまり「スポーツを地域で支える」という考え方が育たなかった。そこが欧米と違う点だ。都市と市民自治体の歴史が長い欧州では、スポーツも市民共有の娯楽・文化として大切にし、自分たちのアイデンティティーのシンボルと考えられてきた。

 地域密着を掲げて100年かけてサッカー文化を根付かせようとしている日本のJリーグが、欧州をモデルにしているのはよく知られている。アルビレックス新潟のように、人口が100万人に及ばない都市でも随一の観客数を誇っている。

 日本には100万人規模以上の都市が優に10を超え、市民が本気になれば地域で支えていくことは十分可能ではないか。プロ野球への参入を目指すライブドアと楽天が仙台を拠点にしようとするのは、その可能性を見越しているのかもしれない。

 スポーツを地域で支え、いわば公共財産として育てていく努力が私たちに求められている。企業スポーツの代表格であるプロ野球のファンは、企業社会重視の精神風土から脱して、地域社会重視に視点を変えていかなければならない。

 いま時代の流れは地方分権にある。中央主権の拠点東京をフランチャイズに全国区人気を誇ってきた巨人に頼ったプロ野球の限界があらわになったことが、何より転換の必要性を物語っている。

戻る