五輪の歩んだ道 巨大イベントの108年 芽は育っているか

                                                      平成16年6月13日(日):毎日新聞

 アジア初の「世紀の祭典」に日本中がわいた。東京オリンピックは五輪市場初めて海外に衛星中継され、「テレリンピック」の始まりとも言われる。高度成長による経済的な余裕が生まれたこともあり、スポーツに関する国民の関心は一気に高まった。五輪開催の3年前には、将来の「スポーツ権」の確立にもつながる法律が公布されていた。しかし、実際に基本計画として策定されたのは約40年後だった。
【高山純二】
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 「心は明るく大らかに。身は丈夫ですこやかに。鍛えよ強き魂を。磨け正しい技と道」

 クラブ訓を読み上げる子どもたちの声が館内に響いた。東京都大田区・池上本門寺内の朗子会館にある池上スポーツクラブ。前身は、東京五輪日本選手団の主将を務めた体操の小野喬氏(72)=現日本スポーツクラブ協会副会長=らによって五輪翌年の65年5月に設立された池上スポーツ普及クラブだ。

 民間スポーツクラブの先駆けと言われるクラブからは、88年ソウル五輪体操代表の小西裕之、佐藤寿治らが育った。現在は体操のほか、バスケット、フットサル、総合体育なども指導しており、幼稚園児から小学校低学年の児童を中心に約750人が汗を流す。

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 小野氏は52年ヘルシンキ、56年メルボルン、60年ローマから4大会連続出場となった東京五輪の開会式では選手宣誓も行った。4大会で計5個の金メダルを獲得し、特にメルボルン、ローマと制覇した鉄棒の精密な演技は当時、「鬼に金棒、小野に鉄棒」と形容された。若手を率いた東京五輪では男子団体総合の連覇に貢献し、体操日本の礎を作った一人だ。

 今忘れられない光景がある。大会のため西ドイツやイタリアなどに遠征した際、地域に根付いたスポーツクラブをあちこちで見かけた。

 「いろんな職業の人が一緒にスポーツを楽しんでいた。仕事が終わって近所のクラブに行けば、スポーツできる。学校を卒業した後でも体が動かせるのはいいなと・・・。日本のスポーツは異質なんだと思った」

 日本のスポーツは長年、学校と企業によって支えられてきた。今でこそ競泳の北島康介(21)=東京SC=らのようにクラブチームの所属の選手が当たり前になっているが、当時はスポーツクラブ自体がなかったという。「地域スポーツを振興させるために必要」と小野氏は東京五輪体操代表選手の妻、清子さん(68)=現国家公安委員長=らと池上スポーツ普及クラブを設立した。

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開催を前に「振興法」交付 地域クラブが生まれ「スポーツ権」確立の期待も高まった

 東京五輪開催は、59年55月に西ドイツ・ミュンヘンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会で決まった。その2年後、西ドイツのスポーツ計画「ゴールデンプラン」などを参考に作られたスポーツ振興報が公布され、第1条では「国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与すること」と目的をうたった。

 さらに17年後の78年11月には、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が「体育・スポーツ国際憲章」を採択し、「体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である」と宣言した。スポーツ振興法は、この「スポーツ権」の確立にもつながる可能性を秘めていた。元日本体育協会職員でオリンピック評論家の伊藤公氏(68)も「素晴らしい法律がてきたと思った」と振り返るなど、関係者はスポーツの普及・振興に大きな期待を抱いた。

 しかし、第4条に掲げられた「基本計画の策定」は00年9月までまたなければならなかった。39年間もの空白。この「スポーツ振興基本計画」は10年間で全国の各市町村に少なくとも1つ総合型地域スポーツクラブを育成することなどを目標に掲げている。

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財源の不安定さは今なお変わらない だが具体策まで空白39年「お遊びに何で金を出すのか?」

 空白期には保健体育審議会の答申などが出されていた。72年に施設整備の基準などを盛り込んだ「体育・スポーツの普及振興に関する基本方策について」と題する答申が出たほか、76年12月には総合型地域スポーツクラブをうたう基本計画の原形とも言える報告書もまとまっている。

 文部省(現文部科学省)職員として報告書作成にかかわった浦井孝夫氏(62)=順天堂大スポーツ健康科学部教授=は「なぜ答申止まりなんだという議論は内部でもあった」とした上で、基本計画が策定できなかった事情を説明した。

 「単純に言えば、財源の裏づけがなかった。今回、基本計画ができた裏づけはtoto(スポーツ振興くじ)だった」。当時は施設も十分でなく、指導者も不足していたという。ある競技団体の幹部を務める別の文部省OBも「予算を要求する段階で『スポーツはお遊びでしょう。遊びに何で金を出すのか』と言われる。学校施設も貧弱で、基本計画どころじゃなかった」と振り返る。スポーツへの関心は高まったものの、余暇を楽しむという発想は一般的に浸透していなかった。

 東京五輪前後5年の文部省体育局(現スポーツ青年局)の予算比率を示した資料がある。スポーツ関連予算は62年(57.0%)と64年(44.3%)を除くと17.0%〜34.9%。大半は学校保健課と学校給食課が占めている。

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 梅雨入り初日の今月6日、アテネ五輪の聖火リレーが東京都内で行われた。参加した女優の菊川怜さんは「スポーツは精神面の健康を保つ点でも大事だと思う」と語った。21世紀になり、スポーツの意義は確実に高まっている。

 長期不況やtotoの売り上げ不振で、競技団体や地域スポーツクラブの「財源」は今も不安定だ。東京五輪で芽生えたスポーツの火。それを「スポーツ権」の真の確立につなげなければ、憲法で定める「健康で文化的な生活」は実現しないということを改めて記したい。

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★スポーツ振興計画
文部省(現文部科学省)によって2000年9月に策定された。スポーツ振興法に基づき、長期的・総合的な視点から国が目指す今後の基本的方向を示している。主な柱は@生涯スポーツ社会の実現に向けた地域のスポーツ環境整備A国際競技力の向上B生涯スポーツ、競技スポーツと学校体育・スポーツとの連携推進―の3点。具体策として、@では10年までに総合型地域スポーツクラブを市町村に少なくとも1つは育成する、Aでは96年アトランタ五輪では1.7%まで低下したメダル獲得率を早期に倍増(3.5%)する―ことなどを盛り込んだ。

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