スポーツの明日 「体育」よ、さようなら
                                                       平成19年1月10日(水)朝日新聞

 日本のスポーツ施設は、学校の体育館やプールなども含めると24万ヵ所にのぼる。約500人に一ヵ所の割合だから、数だけみれば立派なものだ。

 スポーツが好き、という人も大人の7割を占める。しかし、週2回以上体を動かす人は1割しかいない5割を超すオーストラリアやニュージーランド、3割から4割を占める米国やカナダなどに比べ、大きく見劣りがする。
 「仕事が忙しい」といった生活環境が大きいが、問題はそれだけではない。
 「欧米に比べ、そもそも日本にはスポーツ政策と呼べるものがなかった」と平成国際大の佐伯年詩雄教授はいう。
 野球やサッカー、テニス、陸上競技。これらのスポーツが明治時代に欧米から伝わった時、多くは旧制の中学生や高校生ら一部エリートのものだった。その後、学校の授業に取り入れられていくなかで、富国強兵の国策もあって、精神修養や体を鍛えるという側面が強くなった。「楽しむもの」という欧米流の考えは広がらなかった。だから、学校や公共の施設には、スポーツの後でゆったりと食事をしたり語り合ったりする場所はほとんどない。そんな施設がいくら開放されても、スポーツを楽しみたい人には不満が残るのだ。

 その一方で、学校体育を重んじてきてにもかかわらず、子どもの体力の低下は止まらない。屋外の遊びが減り、テレビゲームが幅を利かせる時代にまずスポーツの楽しさを伝えなければ運動嫌いの子どもは増えるばかりだろう。
 プロ選手らごく限られた競技者がプレーし、一般の人はそれを見て楽しむだけ。心配なのは、そんないびつな二極化が広がっていくことだ。
 政策としてスポーツに取り組む海外の事情は、ずいぶん違う。オーストラリアでは、スポーツに親しむ国民が1割増えるごとに心臓疾患や腰を痛める人が5%ずつ減る、との試算が政府から発表された。国民の肥満に頭を痛める政府は、施設や組織をつくることにいっそう力を入れている。
 学校に部活動がないドイツでは、スポーツクラブが子どもから大人までをつなぎ、地域社会の核になっている。

 どちらも日本の参考になる。政府が00年に初めて作った「スポーツ振興基本計画」には、両国に似た総合型地域スポーツクラブの構想が組み込まれた。しかし、その計画は進んでいない。財源としてもくろんだサッカーくじの赤字が痛いが、役所の縦割りも大きな壁だ。文部科学省に加えてスポーツ公園は国土交通省、障害者スポーツは厚生労働省、企業スポーツは経済産業省がかかわり、予算も方針もバラバラだ。これでは役所が逆に手かせ足かせになってしまう。

 「体育」から「スポーツ」へ。みんなの考え方を切り替える。その上で、少子高齢社会と地域社会を支える柱の一つとしてどう活用するのか。スポーツの新しい姿と仕組みを考える時だ。

 

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